翌朝、神田は早くからアレンを置いて任務へと出かけた。
アレンはというと、やや遅めの朝食を食堂で取っている最中だった。
「よっ、アレン、おはようさぁ〜」
「あ、ラビ、おはようございます」
教団の中でひときわ目立つ燈色の髪を無造作に掻きあげながら、
ラビが眠そうに欠伸をしながらアレンの居るテーブルへと腰掛ける。
ふとテーブルの上に目をやると、
いつもなら既に30皿は軽く空いているだろう豪快な皿の山が、今日はまだ築かれていない。
「あれぇ? なんだぁアレン、食欲ないさ?」
「え?……まぁ、食欲がないという訳ではないんですけど、ちょっと考え事しててですね」
「へぇ、アレンが食事中に考えことなんて、それこそ珍しいさぁ」
「はは……ですよね。 ガラでもないって感じですよね?」
そう冗談をいいながらも、アレンの表情にはいつものような覇気がない。
「どうした? アレン。俺でよけりゃ話してみるさ」
「……う……」
図星を突かれて言葉に詰まるが、もしかして、
教団のことを色々と知っているラビなら、
神田が昨日寝言で呟いた人物のことも何か知っているかもしれない。
そう思い立ったアレンは、目の前で優しそうに笑うラビを、
迷える子羊のような切実な瞳で見つめた。
知りたいが知りたくない。
神田が抱えている大切な秘密に土足で入り込むようで気が引けたが、
それでもこのままモヤモヤした気分でいるのは性分に合わなかった。
やはりここはラビに聞くのが一番いいだろう。
「ラビ、あの……その……『アレク』っていう人を知ってますか?」
「……アレク……?」
アレンの言葉を受けて、ラビはしばし何かを思い出すように考えを巡らす。
そしてやがて、思い出してはいけないものでも思い出してしまったかのように、表情を歪めた。
「ラビ?」
「うぅ〜〜ん、その名前って……ユウに聞いたんさ?」
「あ……えっと、そのですね……神田は多分、言ったつもりはないと思うんですけど……」
「ふぅん……なら、俺が言うより、ユウに直接聞いた方がいいさ……」
いつになく歯切れ悪そうに、ラビが鼻の頭を指先でポリポリと掻いてみせる。
その仕草で、アレクという存在が、あまり大っぴらには言えない存在だということが解かる。
そして、その人物が神田にとってとても大切な存在だという事も。
「そっ、それが出来ないから、こうしてラビに話したんじゃないですかっ!
知ってるなら、少しでも教えてくれたってバチが当たらないでしょ? ラビのケチ!」
「ケ、ケチって……アレン、あのなぁ……」
「だってそうでしょ? ラビの方が神田との付き合いが長くって、
僕よりうんと色んなこと知ってるじゃないですかっ!
僕が直接聞いたって、あの神田がそう易々と大事なことを話してくれるわけないでしょう?
それなのに、知ってて教えてくれないなんて、ケチ以外の何モノでもないですよっ!」
「ア、アレン……」
「ラビのケチ! ケチ! ケチ! 大ケチっ!」
まるで小さな子供が駄々をこねるような言い様に、さすがのラビも呆れ顔をする。
アレンはその大きな瞳にうっすらと涙を浮かべながら、
まるで目の前のエクソシストに苛められているかのような顔をした。
「もうっ、朝から何アレンくん苛めてるのよ!」
突如現れたリナリーが、ラビを責めるように睨み付ける。
「リ、リナリーっ、誤解だよっ! 誤解っ!」
「何が誤解よっ! アレンくん困って泣きそうになってるじゃない!」
「そうです……ラビが……ラビが……僕に意地悪するんです……」
リ
ナリーの庇護欲を煽るように、アレンが情けない顔で訴えると、
リナリーはそれ見たことかと言わんばかりに、目の前のラビを非難しだした。
「ほらね。 アレンくんもこう言ってるじゃない!
もう、ラビは年上でエクソシストとしても先輩なんだから、
後輩が泣くようなことしちゃダメでしょ!」
「そ、そんなぁ……」
謂れのない濡れ衣ですっかり悪者扱いされてしまったラビは、
それこそ困ったように頭を掻き毟る。
「ラビっ! ほら、ちゃんとアレンくんに謝って!」
すると、その言葉を待ってましたと言わんばかりに、
アレンは目の前のラビの腕を引く。
「そうです! 約束どおり、僕にあの事教えてください!
あ……ここで話して長居するのが皆に迷惑だっていうなら、
僕の部屋で話しても全然構いませんよ?
うん、それがいい。 ね、ほら、そうしましょう!」
ラビは腕組みをして睨み付けるリナリーを横目で見ながら、すっかりアレンにはめられたと思った。
アレンが神田に想いを寄せている事は何となくわかっていたが、ここまでされるとは予想外だった。
「はぁ……わかったさ……」
「じゃあ、行きましょうか! あっ、リナリー、本当に有難うございます!」
ニコリといつもの笑顔をリナリーに向けると、
リナリーも満足したような笑みをアレンに返す。
「いいえ、どういたしまして。しっかりラビに色んなこと教えてもらってね?
また何か意地悪したら、その時は遠慮しないで私に言って?」
「はい。そうします!」
「……オイオイ……」
ラビは情けない声を出しながら、アレンに腕を引かれて部屋まで連行される。
ある意味リナリーはエクソシスト最強だという逸話を、心の中で思い出しながら。
「さぁ、ラビ……隠し事無しで、知っていることを話してもらえますか?」
部屋に入るなり、アレンはぐいと身を乗り出し、真剣な面持ちでラビへと問いかける。
「すみません……我侭なお願いをしてしまって。
けど、こうでもしないとラビも話してくれなさそうだったから……」
少し謙虚に肩を落とされると、それまで困った風体だったラビも、
諦めた様子で大きな溜息をついた。
「う〜ん、本当はオレも大したことは知らないんさ……
ただ、その名前にちょっと心当たりがあっただけなんさ?」
「心当たり?」
アレンが不思議そうに聞き返すと、ラビは表情を暗くして、真面目な様相になる。
「なぁ、アレン。 エクソシストっていうのは、イノセンスの適合者だっていうのは知ってるよな?」
「はい……」
「じゃあさ、こんなに沢山のイノセンスがありながら、
何でこんなにエクソシスト……要は俺らの仲間って少ないんだと思う?」
「え……それは……」
アレンが答えに詰まっていると、ラビは皮肉そうにこう告げた。
「それは、神の使途になるっていうことが、
自分の命を引き換えにする、大きなリスクを背負うって言う事だからさ」
「……リスク……ですか」
確かにラビの言う通りだ。
装備型のエクソシストは、己のイノセンスとのシンクロ率を上げるために、
何らかの制約をその身体に課していると聞いた。
そして寄生型の自分たちは、AKUMAと戦い傷付く度に、
大きな痛みを伴ってその傷を修復しなければならない。
イノセンスの強大な力をその身に宿し、時には己の命を縮めながら……。
「けど、それとアレクっていう人と、どんな関係があるって言うんですか?」
アレンの単刀直入な質問に、ラビは少し哀しそうに瞳を歪める。
「ん……例えばだ……この教団の中に、
イノセンスをその身に宿しながら、
エクソシストになりきれない者が居るとしたら……どう思う?」
「えっと……それって……エクソシストになる前の、自分みたいなカンジなんですかね?」
アレンは白い手袋で覆われた己の左手に視線を落とした。
身体の一部にイノセンスを宿した人間は、
その部分が人間とは言い難い醜い姿に変形する。
時には痛みを伴い、その苦痛に耐えかねて、
自ら命を絶とうとするものすらいるという話を耳にしていた。
「そんな適合者を、みすみす外の世界で暮らさせて、
AKUMAの餌食にするとでも思うさ?」
そんなこと、頭の悪い人間でもえれば直にわかることだ。
「いいえ、もし適合者が見つかったなら、エクソシストとして働けなくても、
この教団内で保護するのが一番いいでしょうね?」
「……だろ?」
「……え? じゃあ、もしかして、そのアレクって人は?」
アレンがおそらく答えに行き着いただろうと思った瞬間、
ラビは徐に人差し指を唇に押し当て、静かにするよう促した。
「しーっ、だからな、そういうイノセンス保持者を、
教団がこの施設の何処かに隔離してるっていう噂が、前々からあるんだよ。
昔はそういう人間を使って、無理やりエクソシストにしようとする実験までしてたらしいさ……」
「……そ、そんな……」
「だろ? だからこれは教団内でも機密事項さ。
誰でもかれでも知ってる訳じゃない。
で、ここからは俺の微かな記憶に過ぎないんだが……」
「……ラビ?」
「俺らがこの教団に来たばっかの時、
アレクって名前のエクソシスト見習いが一緒に居たはずなんさ。
確かユウと仲が良かったような気がする。
けど、そいつは初めての任務に出てすぐ何らかのトラブルに巻き込まれたらしくてさ。
いつしか俺らの前から姿を消しちまった…ってな訳さ」
ラビは言い終わってから、まるで哀しい過去を思い出したかのように、辛そうな表情をする。
「すみません。嫌なことを思い出させちゃったみたいですね。
けど、その人は……いえ、その人たちは、一体何処に行っちゃったんでしょうか?」
素朴な疑問だった。
考えて、ふと嫌な予感が頭を過ぎる。
「うん。問題はそこなんさ。前にコムイに何気なくカマをかけてみたんだけどさぁ、上
手くかわされちまった。
俺はどうも教団の立ち入り禁止区域が怪しいと思ってるんだけど、
どうにもセキュリティが厳しくて、中々入り込む事ができないんさ」
「ってことは、皆どこかに幽閉されてるか、死んじゃったって……ことですか?」
好意的に考えれば、イノセンスを上手く摘出して、
所有者は外の世界で元気にやっているのかもしれない。
だが、自分のことを考えた場合、
左手にしっかりと根を張ったイノセンスを取り出すということは……
それは即ち、適合者の死を意味する。
もしかしたら、教団はイノセンスを死守するために、
所有者を殺してイノセンスを取り出したのではないか。
そんなおぞましい憶測まで頭に浮びあがる。
「じゃあ、アレクっていう人は、もうこの世にいないってことですか?」
おそらく神田は、そのアレクという人物と友人関係にあったのだろう。
突然自分の前から姿を消した親友を未だに夢に見て、
ああして苦しんでいるのかもしれない。
そう考えると何となくつじつまが合った。
「う〜ん、俺にははっきりしたことは言えないけど、多分そうさ……」
だとすると、夕べから自分は、
もうこの世にいない相手に嫉妬していたということになるのだろうか。
情けないような、けどどことなくホッとした様な、
複雑な心境が今のアレンを支配していた。
「……なぁ……アレン……?」
「え?」
ラビがアレンを見つめながら、何言いたげに見つめている。
「な、何ですか? ラビ?」
しばらく沈黙を保っていたラビだったが、ふと何かを吹っ切ったように表情を和らげる。
「いや、俺が知ってるのはこれだけさ……
この先、もし疑問に思うことがあるなんなら、もうそれはユウに聞くっきゃないさ?」
「あっ……はい……そうですね」
そのラビの台詞に妙な違和感を覚えながらも、
アレンはもうこれ以上突き詰めて聞くつもりはなかった。
きっとこれから先の話は、ラビ自身をも傷付けてしまうような気がしたから。
「あの……有難うございました。無理を言って聞いちゃってスミマセン」
「いや、いいさぁ。ま、アレンもユウみたいな野暮天を好きになっちまって、大変さぁ」
「す、好きって……なっ、何言ってるんですか!」
「おや? 俺が気付かないとでも思ってたさ?」
「そっ……それはっ……」
「だろ? こう見えてもブックマン見習いだかんなぁ。
普通のヤツよりは人を見る目はあるつもりさぁ」
そう軽くウインクすると、後ろ向きに掌をひらひらとはためかせ、ラビは部屋を出て行った。
自分の行動は傍から見て、かなり神田に執着しているように見えるのかもしれない。
二人の関係をとりわけ隠そうとは思っていないが、
それが神田の気に触って距離を置かれているのかもしれない。
ふと、そんなことを考える。
周りの人間の噂話をいちいち気にする性格とも思えないが、
それでも他人に干渉される事は少なくても嫌がるはずだ。
「そんなこと言ったって……僕から寄ってかなきゃ、
神田からは近寄っても来てくれないじゃないですか……」
俯きながらぽつり呟くと、未だ任務から帰らない冷たい恋人の面影を、
密かに思い出すアレンだった。
続きを読む⇒
BACK TOP
ピエロ